【ご由緒】
【合祀】
【ご利益】
大原神社は、天治元年(1124)実籾本郷に創建:ご祭神 伊弉冉尊(イザナミノミコト)。
御成街道の整備に伴い文禄元年(1593)二月に当地へ遷座したといいます。
その後宝暦二年(1753)十月、猿田彦命(サルタヒコノミコト)を開創。
明治41年4月21日に実籾上宿(実籾本郷)にあった大宮神社:ご祭神 伊奘諾尊(イザナギノミコト)と合祀致しました。 明治44年には村内の三山神社「月読命(ツクヨミノミコト)、素盞嗚命(スサノオノミコト)、蛭子ノ命(ヒルコノミコト)」・八幡神社「応神天皇」・第六神社「素盞嗚命」・八坂神社「素盞嗚命」・辯才天社(ベンザイテンシャ)「伊都伎嶋大神(イツキシマオオカミ)」を合祀致しました。 現在のご社殿は昭和12年7月御本殿補修・拝殿改築をし、費用は昭和12年当時で金2284円50銭とあり、氏子たちの多大なご寄附により完成いたしました。
上棟の様子が写された写真からも当時の氏子たちの誇らしげな様子が伝わり、拝殿奥には手伝いの女たちも多数写り村をあげての事業だったことが伺われます。
合祀がご縁で神社を中心に当時の実籾本郷、実籾の上宿下宿の交流も一層深まり、また近年では大正十四年実籾駅開業や戦後の習志野演習場跡地も開拓され、今の東習志野実花地区のもとが形作られ人口の増加と共に氏神様・産土様と尚一層多くの氏子に慕われ様々なご縁を結んできたことから、遠い昔からご縁結びの神社として広く知られています。
天治元年(1124年) | 実籾本郷に創建 ご祭神 伊弉冉尊(イザナミノミコト) |
文禄元年(1592年) 二月 | 実籾(当地)に遷座 |
宝暦二年(1753年) 十月 | 庚申社(御祭神:猿田彦命)を建立 |
明治四十一年(1908年) 四月 | 大宮神社の伊奘諾尊(イザナギノミコト)を合祀 |
以来、夫婦二柱と猿田彦命を主祭神とす |
明治四十四年(1911年) 一月二十日
月読命(ツクヨミノミコト) 三山神社(和田)
明治四十四年(1911年) 十一月六日
素盞嗚命(スサノオノミコト) 三山神社(和田) 蛭子ノ命(ヒルコノミコト) 三山神社(和田) 応神天皇 八幡神社(八幡前) 第六神社 素盞嗚命(中村) 素盞嗚命 八坂神社(駒込ミ) 伊都伎嶋大神(イツキシマオオカミ)
辯才天社(ベンザイテンシャ)(西田) |
伊奘諾尊、伊弉冉尊
縁結び、病気平癒、安産子育て
猿田彦命
開運(道ひらき)、交通安全
月読命
豊漁守護、海上安全
素盞嗚命
厄除け、五穀豊穣
応神天皇
勝運招来
伊都伎嶋大神
財運向上、蓄財招福、技芸上達
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御成街道の整備に伴い文禄元年(1593)二月に当地へ遷座したといいます。
その後宝暦二年(1753)十月、猿田彦命(サルタヒコノミコト)を開創。
明治41年4月21日に実籾上宿(実籾本郷)にあった大宮神社:ご祭神 伊奘諾尊(イザナギノミコト)と合祀致しました。 明治44年には村内の三山神社「月読命(ツクヨミノミコト)、素盞嗚命(スサノオノミコト)、蛭子ノ命(ヒルコノミコト)」・八幡神社「応神天皇」・第六神社「素盞嗚命」・八坂神社「素盞嗚命」・辯才天社(ベンザイテンシャ)「伊都伎嶋大神(イツキシマオオカミ)」を合祀致しました。 現在のご社殿は昭和12年7月御本殿補修・拝殿改築をし、費用は昭和12年当時で金2284円50銭とあり、氏子たちの多大なご寄附により完成いたしました。
上棟の様子が写された写真からも当時の氏子たちの誇らしげな様子が伝わり、拝殿奥には手伝いの女たちも多数写り村をあげての事業だったことが伺われます。